増上慢にご用心
ちょっと前まで増上慢という言葉に対し、非常に関心がございました。
①〘仏〙七慢の一。まだ完全に悟りを開いていないのに、悟りを開いたと思っておごりたかぶること②実力もないのに自己を過信して思いあがること。
【大辞林 第三版(2006)松村明 編 https://kotobank.jp/dictionary/daijirin/ 】
私が用心したいと思っているのは②の方です。これはカウンセリング等の対人援助職で、かつ提供しているものが無形である場合に非常に起こりやすいように思います。
いわゆる「あなたが良くなったのは私の力のお陰だ」というやつ。
これのもっとも厄介なパターンは、無意識に作用してて、かつ自分のダメなところを隠そうとしている場合。
いわゆる心的補償として思いあがっている場合は、自覚するのが非常に難しい。
例えば、普段は明るく暮らしているつもりでも、根っこには根拠のない罪悪感とか自責感とか、そういったものを持ち続けていたとしましょう。
そういう類の人は、往々にして人を援助する行動を選びがちです。
なぜかというと、人を助けるとほとんどの場合「ありがとう」とお礼を言ってもらったり、場合によっては感謝されたりします。
そういってもらうことで、自分の罪悪感とか自責感の辛さがやわらいだり無くなったような感覚に陥ります。
けど、それは無くなったような気がするだけの話なので、またすぐに自分を責めだします。
結果、人を援助し続けるという選択をすることになっていくのですが、これがまたタバコとかギャンブルとかと同じような構造で、やればやるほど大きな成果を求めるようになってきてしまうんですね。
それは行き過ぎるとお節介になり、お節介なので断られるとか報われない結果に終わると
「もう!こんなに私が頑張ってるのに!みんなわかってない!!」
とか言い出すんですよね。
その難しいパターンをユング心理学ではメサイア・コンプレックスと呼びます。
その構造やポジションに気付かないことには、最後には自分一人が犠牲になるとか孤立化するという暗いストーリーが出来上がり、それをなぞることになってしまいます。
とはいえ、増上慢もメサイア・コンプレックスも、勉強や実践を重ねるうちに、力は実際ついてくるので、そういったときには起こりがちな現象でもあります。
より早く気付き、自身を振り返ったのであれば、「あぁ、今成長している途中なんだなぁ」と受け取り直す。するとまた謙虚な振る舞いが戻ってきます。
たかが思い上がり、されど思い上がり。
そういった状態に気付いたのであれば、良くも悪くも自分の問題として、しっかり取り組む必要がありそうです。
増上慢にご用心!