臨床心理士・高島 進    のブログ

臨床心理士である高島 進が、気付いたこと・発見したこと・学んだことなどを記します。必要な人に必要なタイミングで届きますように。

プロフィール

高島 進/臨床心理士

NPO法人 介護者サロン ハンド・イン・ハンド 副理事長

/米国NLP™協会認定NLP™トレーナー/心理健康相談員/浄土宗僧侶

出身:大阪/立命館大学神戸学院大学大学院

趣味:歩くこと、セミナーに参加すること、神社参拝

好きな言葉:流れに身をまかせる

 

 

対人関係の悩みや、自分自身の将来に対する不安、日常生活でうまくいかないこと、自分に自信がないことなど、様々な相談に対し、専門的な理論や技法を用いて相談者の前進・成長・発展を支援している。

 

就職活動・社会人1年目で体験した挫折

 

 小さいころから、本を読むことが好きで、特に日本史や歴史的な有名人、武将に関する本を読み漁っていた。一つの手法や技法にこだわらず、あらゆる角度から一つの現象をみようとする姿勢は、その時読んでいた本の主人公の立場に没頭していた経験から生じたのかもしれない。

 

 現在。心理職に就いているのは、大学生の時に就職活動に失敗し、卒業後に勤めた仕事が続かなかったことによる影響が大きい。当時、特にやりたいと思っていなかったことをやりたいことと思い込もうとして続けていたが、しんどくなり逃げ出すように退職する。その時、自分は何のために生きているのか、何が本当にしたいのかが分からなくなっており、その後も仕事やアルバイトを転々とする。

 

 介護職として働いているときに、働く人や介護をする側の人のケアが必要だと思い、心理学に興味を持ち勉強を始める。心理学ワークを通して、自分が何を感じているのか、また自分が何を感じることを禁じているのかに気付き、自分自身の感情や状態を見直した。学んでいるうちに、自分自身も楽になっていくことが感じられ、「ほかの人にも自分自身を見直すことの手伝いがしたい。」「人にも“楽に生きていく”ということを体験してもらいたい。」と思うようになる。大学院に入学しなおし、本格的に心理学を学び心理業界で仕事をすることを決意した。

自分の過去に経験した出来事は、失敗や挫折などではなく、その出来事そのものが生きるための戦略であり、自己実現にとって必要なものだと考えるに至る。また、その体験を自分の中で昇華することで、より客観性をもって相談者と接することができるようになり、それがお互いにとっての良い関係性である、ということがよくわかるようになった。

相談者の声/

・「話していて明るい気持ちになります。」40代女性、50代男性

・「頭が整理できた。」20代女性

・「気持ちが楽になる。」20代男女、30代女性、40代女性

 

活動実績・予定/

・自殺予防相談を3年継続して受けている。

・米国NLP™協会認定コース アシスタント 1年

・2015年 単発セミナー「カウンセラーの臨床心理学」

 

相談者には、自分の人生の選択ができる喜びを味わってほしいと思います。ご自身で自分の道を選択される決意のこもった言葉を聞いた時、その場・その時間から軽くなるような、温かくなるような感じを受けることができます。

自分の感性に従い、自分で責任をもって選択をすることができる人が増えると、自然と自分の内面だけでなく、他者とも繋がることができる、つながりのある世の中となるでしょう。

私自身も、より自分を見つめていき、より楽しく、より楽に、自然に、皆さんとともに成長していきたいと思います。

「心理学」に出会うまで④

実は数年前、介護の世界に飛び込んだのには事情がありました。

 

当時、まだ私の祖父が存命で、高齢者施設に入所していました。

認知症を患っており、帰宅願望がとても強かった祖父は、説得して部屋で横になってもらうことが大変だったそうです。

その施設と家がさほど遠くなかったことから、何度か面談に向かったのですが、その時の介護士さんの対応があまりに素っ気なく、雑に感じてしまい、あまりいい印象はもちませんでした。

祖父のことを尋ねるも、あまりいい表現では伝えられず、普段からの祖父への対応もひょっとしたら雑なものかもしれない、と非常に遺憾に思ったことを覚えています。

 

そんな職員さんの対応から、介護という仕事に興味を抱きました。

きつい仕事といわれているが、本当にそうなのか?

ああいった家族に対する対応はどういうことなのか?

実際に働いてみて、自分で体験してみよう。

そう思い、介護の仕事をしてみようと決心しました。

 

そして、

 

実際自分が学んだり、見た介護現場は私の祖父が入居していた施設のようなことはありませんでした。しかしその上で、思うところもたくさんありました。

・重労働で長い拘束時間のわりに、賃金が低いこと。

・またその賃金の低さも、介護保険制度をはじめとする、日本の介護を取り巻くシステム上致し方ない部分があること。

など、世間一般でもうわさされていることではありますが、実際目の前で展開されると問題意識はより一層高くなります。

 

また、最初はデイサービスで働いており、利用者さんの送迎なども業務として携わっていたのですが、利用者さんのご家族の方々とお話をさせて頂いた上で感じたことが、

体力的、経済的負担よりも、圧倒的に精神的負担が多いのではないか。ということでした。

 

もちろん当時は心理学の知識なんてこれっぽっちも持ち合わせていなかったので、その感想が本当かどうかはわかりません。

しかし、利用者さんのケアは介護士がやるとして、その介護士やご家族のケアはいったい誰がするんだろう?どうやってするんだろう?

 

送迎時に、ただただ話を聞くことしかできず、介護士として気の利いたこと一つ言えない。施設へ帰る車を運転しながら、そこまでのケアをできる方法はないだろうか?そう考え、仕事を終え帰宅後、介護業界の関連する資格を調べました。もっと学べることがあるような、そんなぼんやりとした感覚があったことを覚えています。

 

そうすることが、生前かわいがってくれていた祖父の弔いになるという

思い込みかもしれませんが、そんな気がしていました。

 

そして、私は対人援助のスキルを学べる(当時はこう触れ込みがありました)

NLP(神経言語プログラミング)の存在と出会うことになりました。

 

そのNLPとの出会いにより、のちに私は臨床心理士の資格を取得することとなりました。

 

 

 

・・・・ざっとこれまでのいきさつを書いてみました。

特に面白くもなく、オチもなく、とんだ自己満日記になってしまいましたが(苦笑)

もし私のブログをみて、感想や疑問、もっと突っ込んでみたいと思った方は、遠慮なくコメントを頂けると幸いです。

 

今後は文章とかブログの書き方も勉強しないといけませんね(^-^;

ひとまず、ありがとうございました☆

 

「心理学」に出会うまで③

コーチングの分野では、「目標設定」といって、

どんな結果を望むのか?

それを達成したときはどのような状態か?

を重視します。

設定した目標が具体的で明確であるほど、

その結果は達成されやすいというものです。

では当時、舞台美術の会社に就職した私は、目標設定を明確にしていたか、と言われると、決してそのようなことではありませんでした。

 

「なんとなくやりたいこと」を

「なんとなく紹介してもらったから」入った会社で

「なんとなく続けていれば」それなりに充実した人生になる。

 

今振り返ってみても、自分で腹が立ちますが(苦笑)

これでは成長も何もあったものではありません。

 

そして、そういった反省もないままに、次に私は就職が容易そうな

介護の業界へと身を投じていくことになります。

とはいえ、それはそれなりの事情とか体験があったから資格を取りに行こうと決めたのですが、少なくとも業界に骨をうずめる覚悟はなかったように記憶しています。

 

資格を取り、求人募集をしていた施設に連絡を取り、

介護職としての職業生活がスタートしました。

 

④に続く

 

 

 

 

「心理学」に出会うまで②

「自分の好きなことを仕事にする」

 

ひょっとしたらこれは大変聞こえのいい言葉かもしれません。

「仕事は辛く、耐えるものだ」

という思い込みをもってそれだけで仕事をするよりかは、

よほど自分のすることに向き合っているような感じもしないでもありません。

 

しかし、当時の私の「好きなことをする」は、現実逃避にほかならず、

狭めてしまった選択肢の中から、より凝り固まったというか、

一種の視野狭窄のような心理状態になっていました。

 

「自分は好きなことを仕事に選んだから、就活は失敗していない!」

 

自分を取り繕うために、そう必死に思い込もうとしていたのです。

 

そんな中で私は、サークル時代に少しかかわっていた舞台芸術の世界に身を投じて

行くことになります。その世界は、まさに職人の世界であり、生半可な気持ちで職場に向かっていた私には進歩が見られないまま、わずか1年半でその職場、その世界から逃げ出すことになってしまいました。

 

③に続く

「心理学」に出会うまで①

こんにちは。

 

そういえば、こちらのブログを開設してから、自分自身のことをあまり書いたことがなかったように思います。痛々しく、恥ずかしい思い出ではございますが、私が心理学と出会うまでのことを、少しづつ文章にしていきたいと思います。

 

やや自己満足なものとなってしまいますが、私という人物がどういう人であるかを少しでも読んでくださる方にお伝えできれば、と思います。

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私は、社会に出てから現在に至るまで、3種類くらいの職を転々としています。

不安定な就業事情は、大学生時代の就職活動の失敗が原因です。

今思えば、「社会で生きていくことを舐めていた」の一言に尽きる。

 

大学時代、日々仲間たちとサークルを運営する立場として、様々な話をし、企画をし、太鼓を打ち、サークル活動に没頭しておりました。

それはそれは面白く、やりがいもあり、生き甲斐も感じていました。そのくらい力を込めていたこと自体は大変輝かしい思い出であり、今でも大切なものです。

 

しかし、その小さな小さな世界の中で、徐々に自分自身の力に過大な評価と、お門違いな慢心を抱くようになっていました。非常に厄介なことに、今思えば、それは無意識にも思い込んでいたことだったのです。

 

「自分は有能な人間だから、就職活動だって簡単に決まるはず。」

 

当然、そのような態度は無自覚にも表出していたことでしょうし、働く、ということに対してもそこまでしっかり向き合わず、ただ流れのままにエントリーをしては面接で不採用になる、ということを繰り返していたのです。

 

ここで、不採用が続いている、という結果にフォーカスし、自分を見直すということをができていれば、もう少し当時思い描いていたような内定をもらえたのでしょうが、中身がなく膨張した自尊心を守るため、

 

「社会は自分のことを全く分かっていない」

 

そう考えるようになっていました。今思うと、この段階でもう敗戦は確定していたのでしょうが、当時の私は誰にも相談することなく、ただただ、結果が出せない現状を受け入れず、そう思い込むようになっていたのです。

 

当然、思うような結果は出るわけもなく、精神的に追い詰められながら(自分で追い詰めていたに他ならないのですが)卒業前最後の正月を迎えました。

内定が一つも出ていない状況で、当然親からは「これからどうするんや」の言葉が飛んできます。それに対して私は、大変ずれた考えを持つようになってしまいました。

 

「会社勤めは自分に合わない。どうせ働くなら安月給でもやりたいことをやるんだ。」

 

こうして、自分の根本的な問題、本質的な問題に目を背けたまま、私の就職活動はどこへかわからない方向へと大きく舵を取ることになったのでした…。

 

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現段階で、痛すぎて苦笑しか出ませんが…(汗)

続きはまた次回に書かせていただきます。

 

 

 

再始

調子が乗らなくなり、2か月ほど文章を書くことから遠ざかってしまいました…。

それじゃあいかんなぁ…ということで、ボチボチ再開して来たいと思います。

 

調子のいいときと悪いときって、誰にでもあることだと思います。

しかしながら、こういった続けることが重要なファクターにおいて中座してしまう、

ということは、何かしらやり方がまずかったのか、私自身の何らかの要因なのか。

 

いずれにしても、見つめ直して、考え直して、やり直す必要がありそうです。

なんにせよ、一人で深く考え込んでもあんまりいいことはなさそうなので、

こっから再始動します。

 

よろしくお願いします!

 

自分も周囲もオッケー!

心理学的な対人援助をする場合、多くの人は、自分自身を扱いながら、活動を続ける人が多いです。

 

分かりやすく言うと心理技法のワークショップに行って、自分のテーマを解消するための働きかけを受けてみたり、自分に関連する事柄について学び続けながら、仕事も続ける、ということです。

 

そうなっていく中で、自己効力感であったりとか自己肯定感に関するテーマは、誰しもが通る道、というと言い過ぎかもしれませんが、多くの人が扱っていることであろうと思われます。(私自身も多分に漏れず、ですね。)

 

これは、自分のやったこと、やってきたことを受け取る、という点で非常に重要なことです。要するに、自分を認められない人が、どうやって他者を援助する過程で、クライエントを認めていけるのか、とざっくりいうとこういうことになります。

 

自分自身を受け取る。ここに(以前にもブログで書いたような、)ノージャッジメントを働かせる必要があります。
自分自身に正直になる、ということでしょうか。

 

 

上記のことは、非常に重要なことである。それは間違いないんですね。そうすると、例えば好きになる必要がない人に対して、好かれようと思ったり、嫌われないようにしようとしたりと、無駄なストレスを軽減し得る可能性があるからです。

 

しかし、これをのべつ幕なしに、いろんなことを無視して行ってしまうことには疑問を感じざるを得ません。

 

例えば、相手に「嫌い」と吟味もせずに口にしてしまったり
例えば、自分の力だけを強調して、ほかの人の存在や協力を忘れてしまったり
例えば、自分が思っていることと違ったら、立場も考えずに相手を批判してしまったり

 

自己を肯定したり、正当に評価したりする。それは大切なことです。
けど、それを証明するために、補償するために攻撃性を他者に向ける。
これは誰も得しません。(厳密にいうと、自己肯定感がある人はそんなことしません)

 

こういう時は「謙虚」さが忘れられていることがほとんどです。

 

どうしても好きになれない人がいる、思い通りに事が運ばず怒りを覚える。
これは仕方のないことで、だれでも起こりうる感情の現象です。

 

そこを持っていられないからむやみに吐き出すことは、自分自身の成長にも妨げになる可能性だってあります。

 

マイナスな感情を受け取ることと、他者を攻撃することは別問題です。

 

今持っている感情を自分で受け取る。

周囲にとっても自分にとってもオッケーな形でそれを処理する。

 

そうすることが、自分にも周囲にも「謙虚」であるということじゃないでしょうか。
「謙虚」さは忘れてしまうものです。ということは、思い出すことだってできます。

 

私自身も気を付けようと思いました。